11/08

また仕事で失敗してしまった。

他人がどうでもいいから優しい態度をとれるのだろう。
ようするに冷酷と言うことだ。
そして人の心がわからず面倒なのだ。
めんどうくさすぎて頭を使いたくないししゃべりたくもない。

今回の反省点

しつこく確認を取るべきだった

恐竜の化石から初めて色素を発見したという新研究が発表された。中国科学院・古脊椎動物古人類研究所(IVPP)のフーチェン・ジャン氏率いる研究チームによると、今回の発見によって先史時代の色という新たな世界が広がりそうだ。恐竜の行動における色の役割が解明され、体色を初めて正確に再現できるようになるという。 研究チームは、中国北東部から出土した鳥類と恐竜の化石の羽毛や繊維状の構造内で化石化したメラノソーム(色素を含む細胞内小器官)を特定した。メラノソームは人間の毛髪1本の断面に100個収まるほどのナノサイズの器官で、現生鳥類にも存在する。2008年には初めて鳥類化石から発見された。

 2008年、イェール大学大学院生のジェイコブ・ビンザー氏のチームは、走査型電子顕微鏡で1億年前の羽毛にある濃色の斑紋からメラノソームを発見した。2009年には別の羽毛化石の表面で、積層するメラノソームによって顕微鏡光が屈折することを見いだし、生存中の羽色は虹色だったと推測した。

 太古の恐竜時代化石でもメラノソームは残存可能と証明されたが、恐竜化石の色素は誰も見つけられなかった。また、メラノソームの形状や密度から色を推測した研究者もいなかった。

 1億年前の鳥類化石のメラノソームは2008年に公表されていた。今月のレポートによると、IVPPの研究チームは中国、遼寧省で発見された羽毛のある鳥類と羽毛恐竜の詳細を走査型電子顕微鏡で調べていた。遼寧省は、1億3100万~1億2000万年前の動物化石が完全に近い保存状態で多数出土する地として有名だ。

 その後、IVPPチームは恐竜で初めてメラノソームを発見して突破口を開くことになる。共同研究者でイギリスのブリストル大学の古生物学者マイク・ベントン氏は、「ビンザー氏の論文を読んだとき、“ちょっと、これ見て。すごいな”と言ってたんだ。それからすぐに、僕たちもメラノソームを発見した」と話す。

 アメリカ、ワシントンD.C.にあるスミソニアン研究所国立自然史博物館の古生物学者ハンス・ディーター・スーズ氏は、「Nature」誌オンライン版で1月27日に発表された論文について、「彼らの研究は科学的根拠に基づいている。メラノソームの化石化した残余物であるのは確かだ」とメールでコメントを寄せた。

 メラノソームはメラニン色素を内包しているため、羽毛化石のメラノソーム発見はこれまで推測にすぎなかった先史時代の色について新たな知見をもたらした。

 現生鳥類のメラニン色素は、黒やグレイの羽に関連するユーメラニンと、赤褐色から黄色い羽で見つかるフェオメラニンの2種類がある。

 研究の結果、この2種類のメラノソームが見つかったことから、「色やそのパターンを再現するための最初の実験的証拠となる」とジャン氏のチームは記述している。

 例えば、1億2500万年前の古鳥類であるコンフウシウソルニス(Confuciusornis)の場合、1本の羽毛で黒から茶まで色の変化があるとわかった。また、七面鳥ほどの大きさの肉食の羽毛恐竜シノサウロプテリクス(Sinosauropteryx)の尾の濃色部分には、「フェオメラノソームがぎっしり詰まっていた」とベントン氏は述べている。したがって、尾は栗色から赤褐色のトーンの縞模様だったのではないかと研究チームは推測している。

 メリーランド大学の古生物学者トーマス・ホルツ氏は、「恐竜にも同サイズと形状のメラノソームがあるとわかった場合、現生鳥類と同色になると推測するのは合理的だ」と話す。

 だが、メラノソームはさまざまな色を発現するが種類には限りがある。フラミンゴのピンク色やカナリアの黄色のような明色の多くは、鳥が摂取する食物に関係している。 スミソニアンのスーズ氏は、「色の単純な推測は慎重にすべきだろう。多くの現生動物は死亡後に色素が化学的に分解されて色がすぐに変化するからだ」と言う。

 拙速は避けるべきだが、今回のメラノソーム発見は、先史時代の色の役割を解明する上で新たな可能性を開くものだろう。例えば、恐竜の羽毛の色が判明すれば、色のパターンがカムフラージュやクジャクのような求愛行動に役立っていたのか、現生鳥類に多く見られるように雌雄で異なる体色の可能性などを解明できるかもしれない。

 化石羽毛だけでなく、皮膚や体毛などメラニンの豊富な組織でもメラノソームやメラニンが発見されれば、科学者たちは初めて、絶滅動物の色を推測しなくて済むようになるだろう。

 共同研究者でIVPP所長のジョンホア・ジョウ氏は、「従来、体色はあくまで推測で再現していた過ぎなかった。これからは、古代世界の動物の色を科学的に再現できるだろう」と話す。

 メリーランド大学のホルツ氏は、「遼寧省の恐竜やトカゲ、哺乳類に至るまで、初の実証的な想像図が楽しみとなる。でも、古生物のイラストレーターにはちょっと申し訳ない気もする。彼らは比較的自由に恐竜の色を描いてきたからね。恐竜の色という概念はアートの世界から抜け出してサイエンスの領域に移ったと言えるだろう」と語っている。

https://www.swissinfo.ch/jpn/%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6_8%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E9%A1%94%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/45031944

 

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考古学 8世紀のスイス人はこんな顔だった

Thomas Stephens
Adelasius Ebalchus

オスカー・ニルソン氏が復元したアデラシウス・エバルチュス

(Oscar Nilsson)

アデラシウス・エバルチュスをご存知だろうか?彼は1300年ほど前、現在のスイス北部に当たる地域で暮らしていた。ローマ帝国が崩壊した時代だ。彼はどんな人物で、どんな暮らしをしていたのだろうか。

「アデラシウスは20歳くらいの若い男性で、西暦700年ごろの人物だ」。

グレンヘン文化史博物館他のサイトへのアンジェラ・クンマー館長はこう説明する。同館ではアデラシウスの骨と、彼の顔を再現したものが6月9日まで展示された。

「彼はガロ・ロマン民族の子孫。ガロ・ロマン民族は、ゲルマン系部族が中央スイスの高原に移動してきた7世紀にこの地に住んでいた。この時代についてはあまり知られていない。人々は何かを書き留める習慣がまだなく、文字資料が残っていない。そこで墓地や骸骨、埋葬品から当時を読み解かなければならない」

石を並べて覆われたアデラシウスの墓は2014年、手つかずの状態で見つかった。ソロトゥルン州グレンヘンの町で発掘された47個の墓の一つだった。

クンマー氏は「彼の墓は高価で壁に囲まれていたことから、おそらく富裕階級の人間だったとみられる」と話す。「また歯も素晴らしい状態で揃っていた。当時の主食は粥だったが、固い穀物も食べることが多かった。それほどよく製粉できなかったため粒が荒く、奥歯をダメにしてしまった。アデラシウスの歯は非常に健康的で、歯垢や虫歯、欠けた歯もなかった。穀物のために少し摩耗しているが、歯並びもとても良い」

彼は173センチメートルと当時にしては身長も高かったという。「それは彼が幼少期、成長に十分な食物を得ることができたというもう一つの手がかりだ。骨からこれだけのことが分かるのは大変興味深い」

顔を復元

アデラシウス・エバルチュスが20歳ごろ死んだのは、当時の平均寿命が30~40歳だったのを考えると若死にの部類に入る。だが暴力的な出来事で死んだのではなく、肺炎が引き起こした慢性感染症のせいではないか、とクンマー氏は話す。

「彼の骨には様々な感染の痕跡があった。病気は長引き、欠乏症を引き起こしたようだ。おそらく死因はそれ(らのうちのいずれか)で、戦闘などで死んだわけではないだろう」

アデラシウスの死から約1300年。考古学的に顔を復元するスウェーデンの専門家オスカー・ニルソン他のサイトへ氏にアデラシウスの顔を再現するよう依頼があった。

「多くの人が彼はほぼネアンデルタール人に違いないと思い、もじゃもじゃのあごひげと長い髪の人間だと考えた」とクンマー氏は説明する。「オスカー・ニルソンはアデラシウスの『ひげを剃った』ので、頬骨やあごの割れ目が見て取れる。それは頭蓋骨を見ても分るだろう。現代の町を歩いていてもそう目立たないかもしれない。ひげはまた流行っているけれど」

Skull of Adelasius Ebalchus

アデラシウス・エバルチュスの頭蓋骨。3Dプリンターでコピーされたものがスウェーデンのオスカー・ニルソン氏の元に届けられた

(Kantonsarchäologie Solothurn)

嬉しい驚き

彼にアデラシウス・エバルチュスというラテン語の名前を授けたのは、ソロトゥルン州考古学局他のサイトへ員でプロジェクトを率いたミリアム・ブルシュレーガー氏だ。

ブルシュレーガー氏によると、ゲルマン系のアレマンニ族がゆっくりと中央スイス高原に移動してきたとき、アデラシウスは「地元のローマ人」だった。

Grave of Adelasius

アデラシアス・エバルチュスが発掘された墓

(Kantonsarchäologie Solothurn)

ブルシュレーガー氏は「ここグレンヘンの墓は、典型的なローマ人の居住地区にあり、古い時代の定住者がここで暮らしていた」と解説する。ローマ時代にグレンヘンに移住してきたのではなく、先住民だったケルト人がローマ様式の生活を送ったのだという。

「アデラシウスはおそらく、ローマ時代にここで使われていたラテン語方言が進化した言葉を話していた」

ブルシュレーガー氏は、かつて中世の墓地だった場所で、岩板の下からこれだけの質と量の墓が出土したことに驚いた、と振り返る。

「19世紀に地元の歴史家たちがこれらの墓を探索し、少なくとも90カ所を掘り出したので、ここに墓が埋まっていることは知っていた。だが2014年の時点でどれだけ残っているかは分からなかった。おおかたの墓は掘りつくしたと思っていたが、保存状態が良く無傷の墓を見つけた時は良い意味で驚いた」

なぜグレンヘンには中世初期の遺骨が多く眠っているのか? 「何よりもその場所が理由だろう。ジュラ山脈の南側の山麓は交通の要所で、土壌は極めて肥沃だ。南向きに隆起した台地は当時の人々にとって魅力的だった。そうしてここに住んでいた人々の遺品を我々がただ探し当てたというわけだ」

アデラシウスの遺跡と顔面の復元模型は、今秋からオルテンにできる新しい歴史博物館他のサイトへで常設展示される。

「発見されたものが地下や資料室に埋もれることなく一般に公開されることは非常に大切だ」(ブルシュレーガー氏)


(英語からの翻訳・ムートゥ朋子)

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決断できない話

http://oasis-mental.com/symptom/schizophrenia/symptom_30/

決断が出来なかった日のこと

苺を腐らせてしまった。せっかくのとちおとめだったのに。
母にメールを送ったのはずっと遅くなってからで、兄に相談したが野菜室にいれるとか…と自身な下げにこたえるだけだった。
出かけている間に苺は腐ってしまい、男三人いたのに苺もしまえないのかとあきれられてしまった。

そうなるのは分かっていたはずなのに、できかった。
なぜだか自分でもわからない。

ただ一つ僕がわかったのは自分が決断できず事態を悪化させる人間だとわかっただけだ。